商品の詳細
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昭和52年7月初版。
函入り。
経年劣化により、函にヤケ(茶褐色化)、ややイタミあり。本体にもやや汚れ。
通常の読書にご不便はありません。
紹介がてら文章題。全問正解だったら、本書を読む必要なし?
次の各文の( )に当てはまる適切な言葉は?
第一問
多賀谷氏の祖・金子家忠が正史に登場するのは(ア)の乱だが、多賀谷氏の動向が具体的に分かってくるのは、それから200年以上たった(イ)の乱からである。
その後の結城合戦では、多賀谷氏家は結城氏朝の遺児(ウ)をかくまって、(エ)の保護を受けた。
もっとも(ウ)は成人後、多賀谷高経に暗殺されてしまった。
その高経の孫・和泉守は結城家家老として専横の限りを尽くしたが、和泉守の叔父に当たる多賀谷(オ)は、(カ)氏の援助を取りつけ、和泉守を討ち取り、結城政朝を擁立するのだった。
第二問
下妻の南には、将門ゆかりの(キ)郷があった。
当時(キ)郷を有していたのは、常陸大掾の一族だった。
多賀谷政経は調略を以て(キ)郷を併合したが、やはり将門ゆかりの(ク)治胤は北条方の支援を受けており、最終的に攻略は果たせなかった。
しかし天正17年、多賀谷重経は三男の(ケ)を下総国領内の城に入れるクーデター方式で、版図の拡大に成功した。
この(ケ)は後にはるばる小田原まで行って、(コ)に拝謁したという。
第三問
上杉謙信痛恨の黒星となった下総(サ)城攻め。
上杉方の敗北を受けて、多賀谷政経が属していた(シ)が北条に降ってしまう。
しかし政経は(シ)から離反して、反北条陣営に与した。
永禄10年、(ス)を大将とする大軍に下妻城を包囲されるが、政経は(セ)度に渡る北条の総攻撃を奇策を以て撃退し、多賀谷の武名を天下に上げたのだった。
第四問
天正12年の下野・佐野の佐竹義重と(ス)の対陣。
このとき多賀谷重経は(ソ)名もの鉄砲部隊を率いて参戦している。
東国屈指の鉄砲所有数だが、その入手先は盟友・(タ)とともに(チ)から購入していたと見られる。
第五問
越前の多賀谷氏は秀康の子・直基の分藩に従い、懐かしの関東、(ツ)に帰ってきた。
一方、佐竹に仕えた多賀谷氏では、多賀谷(テ)の子・重隆が岩城氏を継ぐことになったため、佐竹一門の(ト)氏から養子を迎え、(ナ)城の城代となった。
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商品の説明
多賀谷氏の史的考察-戦国期常陸国下妻城主
高い素材 多賀谷氏の史的考察 ー北条の侵攻を撃退した戦国期常陸国下妻
多賀谷氏の史的考察 : 戦国期常陸国下妻城主(古澤一朗著) / 古ほんや
多賀谷氏の史的考察 : 戦国期常陸国下妻城主(古澤一朗著) / 古ほんや
多賀谷氏の史的考察 : 戦国期常陸国下妻城主(古澤一朗著) / 古ほんや
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太平洋戦争の時代に興味があるので、こちらの本も購入。 どんどんと過去に遡っていくので、頭が少し混乱しました。 結局、歴史の流れがよくわからなかった。 内容もなかなか頭に入らず。 残念ながら、私は苦手な本でした。 好きな時代なので、そこそこ楽しく読ませて頂きました。
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